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お盆に仙台へ帰省 [日常]

 14日から仙台に来ています。 我が家の子どもたち3人は、長時間公共交通機関に乗せると大変なことになってしまうので、ちょっと運転は疲れますがここのところしばらくはいつも車です。 5月の連休の時もそうでした。
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 ちょっと車の話になってしまうのですが、私のはもう12年使っているプジョー106です。 これを入手した当時、私はまだ独身でした。 だから全長3.7メートル、2ドアハッチバックのこの車でも十分(というか、一人で乗り回すには好適なサイズ)だったのですが・・・  車を買い換える機を逸しつつ、子どもが3人になってもまだこれを使い続けています。 3人とも小さかったうちは、それでも大丈夫だったのですが、子どもたちも大きくなって、特にジュンは後席にひしめいて座っているのがかなりきつそうになってきました。 それに2ドアなので、後席のベビーシートへのソワの乗せ降ろしはなかなか大変です。 
 家内からも子どもたちからも、大きい車への買い換えを今までに何度か要求されたのですが、私はこの車が大変気に入っており、また愛着も思い出もぎっしり、という感じなのでそのままにしていました(もちろん出費の問題もあります)。 でもこのような状況になり、そろそろ限界かな・・・ と思うこの頃。 
 しかしとにかく、現実に今我が家にあるのはこの車しかないので、子どもたちを後席にびっしり詰め込んで出発しました。

 ルートは5月の帰省時と同じく、都内 → 常磐道 → いわきから磐越道 → 郡山から東北道 → 仙台、 というルートにしました。 これは今回も正解で、途中常磐道の入り口で20分ほど混んだ以外は渋滞は全くありませんでした。

 子どもたちは、狭い車内に閉じ込められているので、次々に休憩を求めてきます。
 PAやSAで 「ちょっと遊んで行きた~~い」 なんてことにつきあっていると、あっという間に1時間や1時間半が過ぎてしまいます。
 でもまあ、上記のように私の未練みたいなもので子どもたちをこの狭い車に押し込めているわけだし、なんて思って、途中ちょくちょく休憩を取りながら行きました。

 5月の時と同じ、磐越道にある阿武隈高原SAの遊び場にて。
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 こんな調子で行ったので、朝9時半頃出発したのに、仙台に着いたのは夕方5時過ぎ。
 渋滞はあまりありませんでしたから、車が走っている時間は5時間弱。 だから休憩時間が3時間以上。 とにかくうちの3人連れは余計な時間がかかりすぎます。

 ちょっと遅くなってしまったので、この日の夜は近くのスーパーで買ってきたお弁当ということになってしまいました。
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 でもおじいちゃんが孫たちに曰く、「普段はだーれもいなくて、物音一つしないような家なんだから、急に騒がしくなって、お盆で来ているホトケさんたちも、一体これは何が起こったんだって思っているよ、きっと」 なんて言って喜んでおりました。
 食事の後、庭に出て迎え火をたきました。 実際に火が燃えているのを見ることが少ないこどもたちは、とても珍しげに、ゆらゆらと揺れる火を見つめていました。

 これを書いている今日はもう18日なので、帰省して以来これまで、
  15日・・・ 陸前高田の父の実家へ、夕方墓参り
  16日・・・ 陸前高田の親戚を訪問、津波の被災地を通過
  17日・・・ 松島水族館へ
  18日・・・ 仙台の家の近辺をドライブ
なんてことがありました。
 これらを順次、これから少しずつ書いていきたいと思います。

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連休中の仙台にて [日常]

TITULO: En Sendai, los primeros de mayo

 震災の後片付け手伝いに行った、仙台の父の家でしたが、数日にわたる滞在となりましたので、子供たちをときどき遊びに連れ出しました。
Mientras estábamos en Sendai en los primeros de mayo, llevé unas veces los niños a parques o campos cerca de la casa.
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 私はもともとはここら辺に住んでいたわけですが、現在では、生まれてからこれまでの時間の中で、一番長く住んでいるところは東京とその周辺と言うことになってしまいました。 それで当時のことや家の周りの様子なんかは、わざわざそこに出かける事がなければあまり思い出すこともなくなってきました。
 でも、こうして子供たちをつれて遊び場を巡っていますと、仙台なんかは以前より大都市になったとは言っても、ほんのちょっと町から外れるとすぐにこうした自然豊かなところにやってこられます。 やはり元来がこういうところで育ったせいかもしれませんが、本当にこういうのはいいなと思いました。
Alrededor de Sendai, quedan muchos lugares o areas con naturaleza. Estoy descansado de estar y mirar esos lugares.
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 仙台あたりまで来ると、そこら辺に何気なく立っている木の種類なんかも、東京あたりとは違ってきます。
 この日行った場所には、ダケカンバがまことに美しい新緑の姿を見せていました。
Los árboles en Sendai son diferente de los en Tokio. Era primavera temprana, podía mirar las hojas verdes que acababan de nacer.
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 父の家からそれほど遠くないところには、大昔、氷を貯蔵しておいたと言われている氷室の跡があります。 今では、ただの山の中に大きな穴があいている、くらいにしか見えませんが。
En un bosque cerca de la casa de mi padre. Esto es una ruina de un almacén de hielo, que se utilizaban hace varios cien años.
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 ちょっと歩くといろんな物が落ちています。
A los niños les gustan varias cosas de natura.
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 こんなことができるのもこの辺りならでは、です。



 今回の帰省中、ジュンにとって最大の嬉しい出来事は、震災ですっかり先延ばしになっていた(実に1ヶ月以上も!)、誕生日プレゼントを、おじいちゃんから買ってもらったことでしょう。
 今のジュンのことなので、プレゼントはもちろん天体望遠鏡です。
Mi primer hijo Jun consiguió un regalo para su cumpleaños, pero por el terrémoto, ya ha pasado más de un mes despues de eso. Ahora está desempaquetando.
望遠鏡1.JPG
 こうして、初めて包装を開けるときのわくわくした気持ちは、私も小さい頃、プレゼントなんかをもらうと良く抱いたものだったなー と懐かしい気持ちになりました。 こういう気持ちだけは誰しも、いつでも変わらないんじゃないかと思います。

 2年生になったジュンは、説明書を見ながら一人でここまで組み上げました。
Jun pudo asemblarlo por si mismo, sin ayuda de otros.
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 ただ惜しむらくは、この日も、またこの翌日も、仙台地方は夜の天気に恵まれず、結局帰るまでこの望遠鏡は夜の出番が全くなく、ついに仙台滞在中は星の初観測は果たせずに終わってしまいました。・・・ 残念!
Pero desgraciadamente, hacía mal tiempo todas las noches y en fin no podía observar las estrellas mientras estaba en Sendai !

 でも、やっぱり手元にあると何か見てみたいもの。
 ピナが部屋に置いておじいちゃんをのぞいてみたり・・・
Entonces Hina juega con el telescopio dentro de la casa.
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 結局、東京に帰る日の午前中、望遠鏡を近くの高台に持って行って風景をのぞいてみようということになりました。
Como no podía observar estrellas, intentó observar paisaje.
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 この望遠鏡でどれくらい見えるか、ということですが・・・
 下の写真は、この高台から見える遠景です。 遠くの山の上に観音像が見えます。
Como se ven con este telescopio. Mire por favor el gran Buda a la montaña...
望遠鏡6.JPG

 その観音様のお顔に望遠鏡を向けてみると・・・
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と、こんな感じでした。

 実は後日、念願かなって初めてこの望遠鏡で夜空をのぞいたとき、ボンヤリとではありますが土星の輪が見えました。 



おまけ:
 仙台の父の家には、古いピアノがあります。 私の兄と妹がしばらくピアノをやっていたので、当時はかなり使い込んだはずのものなのですが、二人とも家にいなくなってからは誰も弾く人がいないので、なんと30年以上も、「家の中にあるだけ」で音を出すことなく放置されていました。
 今回の帰省中、ジュンが「発表会の練習をしなくちゃ」と言って、持ってきた楽譜を取り出して弾き始めました。  このピアノにとっては、実に30年ぶりの歌声です。
 その発表会というのは7月末なので、演奏の方はまだまだ未完成ですが、モーツァルトのソナタで30年の沈黙からピアノを目覚めさせたというのは、なんか素敵なことだと思いました・・・
Por favor lea el comentario en YOUTUBE.
http://youtu.be/TA9NnQxz8og



 練習がまだこの段階の様子を載せられるのは、おそらくジュンにとっては不本意だろうと思いますが、7月の発表会のことをここに書くときには、しっかりとした演奏を載せられるように、練習をがんばって欲しいと思います。

震災その後5  仙台の家と周辺の様子 [日常]

 仙台の家はひどい散らかり様であると父から聞いていたので、いろいろ手伝うつもりで行ったのですが、さすがに散らかったままでは日常もままならなかったらしく、生活空間の部分だけは自分で片付けてあったので、子供たちもそのまま食事したり寝たり、と普通に生活できました。
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 父はもう80歳を超えているのですが、こういうことに関しては我々以上の手際よさで、まあこう言っては何ですが本当に助かります。

 とは言っても、仙台の家はもう築40年以上の古い家なので、地震の爪あとは至る所に見られました。
 結構ひどかったのが風呂場。
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 このほかのタイルにも結構ヒビが入ったり、また父の話では地震直後は欠けたタイルが床に散らばっている状態だったとのことでした。 風呂に入るだけなら問題ありませんが、こういう傷は夏になるとカビの温床になって不衛生になるので、手入れが大変そうです。
 あと、風呂場の窓が開きません。 家が歪んでしまったようです。 この点については骨組みも含めて早めに点検しないと、余震でどうなるか心配です。

 壁の漆喰は至る所でこんな感じでした。
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 外壁には、目立たないもののあちこちにひび割れが。
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 右に立てかけてある網戸は、もとの窓枠が風呂場同様に歪んではまらなくなってしまったので、しょうがなく外しておいてあるものです。

 こんな感じで、まあ日常生活に差し支えないとは言っても、古い家であるし、今後の余震などに多くの不安を残す状態でした。 実は、この家は昭和53年の宮城県沖地震(震度6)でも一度揺さぶられているので、それを考えると尚更です。


 その後、家の周りを少し歩いてみました。
 上にも書いた昭和53年の地震の際には、市内のあちこちでブロック塀が倒壊し、その下敷きになる(死亡された方も多い)という事故が大変多く発生して問題になりました。 その後対策は取られたと聞いていますが、我が家の近くでもこんな光景が何カ所か見られました。DSCF2026.JPG

 この家は、ブロック塀が倒壊してしまった後を仮囲いにしてあります。
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 また別のところ。 一見それほどでもないようですが、もし地震の時この塀の近くにいたら、相当な大けがに至る可能性もあります。 そう考えると恐ろしくなります。DSCF2031.JPG

 この家は、私が子どもの頃は電器屋さんだったところですが、外壁のモルタルがみんなはがれ落ちてしまっていました。 そのせいかどうかは分かりませんが、引っ越しの作業をしていました。
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 あと目立ったのが屋根の損傷。 私の家はトタン葺きなので大丈夫でしたが、瓦屋根の家はほとんどが、程度の差はあれこのような損傷を被っていたようです。
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 これと同様の光景は、前日に高速道路を走っていたとき、茨城県内くらいからすでにあちこちで見られていました。

 地震と関係ありませんが、歩いていたら、私が小さいときに住んでいた家が、まだ現役で残っているのを見て感激してしまいました!
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 あとあちらの方では、NHKが被災者のために、生活に必要ないろいろな情報をテレビで流しています。
 時間を決めてこういう感じで放送するときもありますが ↓
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 通常の番組を流しているときも、画面の外枠には24時間ずーっとこういう感じで情報が流され続けています。 ↓
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ここらへんの緊迫感というか、被災地の実感みたいなのは、やはり東京あたりとは違うと思いました。

震災その後4 連休中は仙台へ [日常]

 この連休中は、子供たちを仙台の父親の家に連れて行きました。 

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 震災の後、心配ではあるものの交通機関の問題などもあり一度も行っていませんでした。 ようやく鉄道や道路も復旧の兆しを見せ、また先日書いたようにガスや水道も使えるようになったということだったので、子供たちをみんな連れて行ってくることにしました。
 4月30日に出発し、5月2日は学校・幼稚園に欠席届を出して、4日の午後に帰途に着くというスケジュールでしたので、まるまる中3日滞在できました。

 新幹線はすでに全線復旧していますが、荷物がちょっと多くなったのと、またうちの子供たちはとにかく公共の場で騒ぐ、暴れるをやめられない人たちなので、クルマで行きました。
 東北自動車道はかなりの渋滞だったので、まず常磐自動車道を通って いわき まで、そこから磐越道で郡山に抜け、あとは東北自動車道で仙台まで、というルートで行きましたら、ほとんど渋滞につかまらずに済みました。  結局、早朝に横浜の家を出て、父の家に到着したのは午後2時前。 途中数回の休憩をしたことを考えれば、まずまず順調な旅でした。

 上記のルートでちょっと気になるのは常磐自動車道のいわき付近でしょうか。 北上するにつれ、「いわき以北は通行止」の表示が目立ち始めます。 現今の情勢が情勢だけに、やや不気味に感じられました。 ただ、道路は(当然でしょうが)それなりの交通量もあり、通過してみた印象では特に何か緊迫したようなものは感じられませんでした。

 磐越道の途中に、「阿武隈高原」という名前のサービスエリアがあります。 ちょうどその辺で昼時になったので、食事がてら子供たちを降ろして大休止としました。
(ちなみに写っているクルマは私のではありません)
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 売店の窓に貼ってある 「たちあがれ福島」 のスローガンが、何か痛々しく感じられたのはおそらく私だけではないと思います。

 SAはその名のとおり高原にあるせいか、天気の良い日中にもかかわらずひんやりとしており、桜が満開でした。 今年2度目の桜を鑑賞しました。
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 桜のほかの花もこんな感じで、私から見ると季節が1ヶ月くらい逆戻りした感じです。
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 SA内にはちょっとした遊び場もあり、子供たちは窮屈な車内から開放されて、飛び回って遊んでいました。 他の子供たちにもこのスポットは人気で、ちょっとした混雑となっていました。
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 高速道路には、さすがにあまり大げさな震災の傷跡はありませんでしたが、あちこちで道路がうねっているので、うっかりしているとクルマがぴょんぴょん跳ねてしまいます。 また、いたるところにこんな修復の様子が見られました。
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 あと、こんな車両がひっきりなしに走っていました。
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 午後2時前、無事到着。
 父は久々に会う孫たちの到着に大変喜んでいました。
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 また稿を改めてあちらでの様子を書きたいと思います。
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震災その後3 仙台でガス復旧 [日常]

 今朝、仙台の父から電話があり、昨日ついに父の家でもガスが復旧したとのことでした。
 同時に、仙台市内全域でのガス完全復旧が宣言され、いろいろあった私の周辺でも久々に明るいニュースになりました。
 父の話では、父の家の作業に携わったのは札幌市ガス局の方だったと。またお隣の家では大阪市ガス局の方だったそうで、こんな風に全国からの救援により、地震から1ヶ月程度で復旧できたのだという事実に本当にありがたく思いました。 
 父は、作業に来ていたその札幌の人に声をかけて話を聞いたところ、彼らは地震直後に仙台入りし、その後1ヶ月ずっと仙台で作業しっぱなしで家に帰っていないそうです。 
 その後昼食時、作業用の軽トラックの中でその方々がカップラーメンを取り出すのを見て、父はさすがにいたたまれなくなり、昼食代を渡して、どこかで食べてきて下さいと言ったそうです。 そうなると彼らの泊まり先も心配になりますが、それはさすがに鳴子の温泉宿をあてがわれて、毎日そこから仙台市内に来ているということで、せめてそれくらいのことはされているのだと私も少し安心しました。

 ガスが復旧すると温かいものもコンスタントに口にできるようになると思うので、父もいくらか楽になるのではないでしょうか。


 ピナはその後、おじいちゃんを励ますものをもう一つ作って送りました。
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 宅配便用のボール紙封筒の裏に書いたもの。
 相変わらず判読困難ではありますが、「みんなだいすきだよ」 の文字が見えます。
 中央のハートの中にいる4人のうち、一番上の帽子をかぶっているのがおじいちゃんです。 あとは家族の顔をひとりひとり。 ピナの意図としては、「みんな、おじいちゃんと一緒にいて応援しているよ」 というメッセージを込めたようです。
 ちなみに私は、ピナがこれを書いた当日、無精ヒゲをのばしっ放しにしていたので、絵の一番右下にこんな顔を描かれてしまいました (>o<)
タグ:復旧 ガス 震災

地震その後 [日常]

 今回の地震の後、仙台市内にいた父親とは、実に今朝になって初めて電話がつながり、ようやく安心することができました。 ただ、暖房も食料もない状態で、その上こういうときに限って寒さが厳しいようで、状況はかなり厳しいようです。
 幸いにして、父は秋田方面に身を寄せるところがあるので、今日中にもそちらに移動する予定とのこと。 そちらに到着すれば本当に安心です。

 三陸の親戚とはまったく連絡が取れません。未確認情報では、その一部は行方不明者になってしまっているとのことで、この方面は最悪の状況もあり得るかも知れません。

東北太平洋地震 [日常]

 今日の大地震、本当に驚きました。
 
 幸いにして、私も家族も、職場も、それほどの大被害はなくすみました。
 今日は職場の近くに帰るので、帰宅も私は問題ありません。

 ただ、仙台市内に住んでいる父親と、午後9時半になってもまったく連絡が取れず、これだけが残された心配です。

 東北地方沿岸の津波も恐ろしいことでした。
 私はもともと三陸の出身なので、祖父から、昭和8年の三陸大地震津波、昭和35年のチリ地震津波の体験談を繰り返し聞いておりましたが、ついに私自身も(テレビでですが)実物をリアルタイムで見てしまいました。
 うちの実家のあたりがどうなっているか、早く知りたいのですがまだどうしようもありません。

ガイジンさんたちと 「海ほたる」 へドライブ [日常]

 またまた少し前のことになってしまいますが、先日の日曜日(6日)に、現在私の仕事場に来ている外国からの研修生二人を、ドライブに連れ出しました。

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 二人はそれぞれ、中米エルサルバドル、グアテマラからの研修生です。 ただ、研修生といっても、エルサルバドルの Pablo (写真手前) は40代、グアテマラの Juan (写真奥) は50代で、それぞれお国では仕事のベテランです。 今回は特に日本で多く行われている癌の治療法の勉強に来ているわけで、そういうお歴々ですからこっちもけっこう神経を使います。

 スペイン語を勉強していた縁で長らく付き合いのある友人、ノリくんとその奥様ミドリさんを動員して、都内から首都高速経由で「海ほたる」へ向かいました。

 なぜ「海ほたる」か、というと・・・  
 彼らの滞日期間は2ヶ月足らずなのですが、帰国まであと約10日となった現在、彼らはすでに、ツアーその他で都内主要名所や、横浜、鎌倉といった主立ったところは見てしまっているのです。 あちらの方からときどき来る研修生たちを見ていると、だいたいこういう行動パターンが多く、この点その活動度の高さにはいつも感心します (ちなみに今回も、Juan は「東京はもうだいたい歩ける」とうそぶいていました)。

 なので、私たちとしては、彼らがまた訪れてないところに連れ出さなくてはなりません。 その点「海ほたる」は、都心や周辺の観光地からはちょっと外れているから彼らも見落としているし、海底トンネルや長大な海上橋などといった建築物を見せるのも兼ねられる、好適な行き先というわけです。
 実は過去にも、このような研修生たちを連れ、ノリくん夫妻ともども、何度か行ったことのあるコースなのでした。

 都内は金曜日が雪まじりの雨、土曜日は一転して快晴、そしてこの日曜日も、快晴とは行きませんが好天に恵まれました。
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 ただ、下の写真ではちょっとわかりにくいかも知れませんが、この日は風がものすごく、ソワなんかは丸ごと飛ばされてしまうのじゃないかと思うほどで、ちょっとハラハラしました。
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 PabloとJuanは、海底トンネルとか海上橋とかといったものに大変感激しており、
 「これはどうやって作ったんだ?」
 「費用はどれくらいかかったんだ?」
 「これは国の計画か、それとも民間の計画か?」
なんてことを盛んに聞いてくるので困りました。当時の建設の責任者の方にでもお出まし頂かないと。
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 行ったことのある方はご存じと思いますが、ここには海底トンネルを掘るのに使われた掘鑿機の実物が、オブジェとして展示されています。
 この傍らに、簡単ですが工法の概要を記した説明板があったので、ちょっとだけ疑問を解決していただけたようです。
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 ちなみに写真に写っているのはガイジンさんお二人と、得意のスペイン語でいろいろ説明をするノリくんです。


 ところで子どもたち。

 ジュンは、「星座のこと、何かないかな~~」と言っていますが、海ほたるにそんなものがあるわけはないし。
 でも、強いて言えばそれに近いものを自分で見つけました。
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 デッキにある置物。
 ピナとソワは、これはお金を入れれば動くものだと思ったようで、特にソワは
 「おとーさん、うごかして! うごかして!」
   ・・・ なんか、こういうときだけは不思議に言葉がちゃんと出てくるソワでした。
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 帰ってきてからは、子どもたちともども、韓国風焼き肉屋さんのお座敷席で食事しました。


 好天に恵まれたこの日の翌日・・・
 都内はこんな天気。
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・・・ 彼ら二人に、「日本語ではこういう状況を、” 普段の行いが良い” と言う」、と言いましたら、スペイン語にも同じような言い回しがあると言って、とても喜んでいました。


雪の夜 [日常]

ちょっと時間が過ぎてしまいましたが、先日は東京でも数年ぶりの積雪でした。
写真は夜中の12時頃。 家の付近では積雪約3cm。

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でも、この夜は気温が高かったのでぬかるみのような状態であり、翌午前中にはほとんど溶けてしまっていました。 盛り上がっていたのはただ、子供たちのみ。

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