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ガイジンさんたちと 「海ほたる」 へドライブ [日常]

 またまた少し前のことになってしまいますが、先日の日曜日(6日)に、現在私の仕事場に来ている外国からの研修生二人を、ドライブに連れ出しました。

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 二人はそれぞれ、中米エルサルバドル、グアテマラからの研修生です。 ただ、研修生といっても、エルサルバドルの Pablo (写真手前) は40代、グアテマラの Juan (写真奥) は50代で、それぞれお国では仕事のベテランです。 今回は特に日本で多く行われている癌の治療法の勉強に来ているわけで、そういうお歴々ですからこっちもけっこう神経を使います。

 スペイン語を勉強していた縁で長らく付き合いのある友人、ノリくんとその奥様ミドリさんを動員して、都内から首都高速経由で「海ほたる」へ向かいました。

 なぜ「海ほたる」か、というと・・・  
 彼らの滞日期間は2ヶ月足らずなのですが、帰国まであと約10日となった現在、彼らはすでに、ツアーその他で都内主要名所や、横浜、鎌倉といった主立ったところは見てしまっているのです。 あちらの方からときどき来る研修生たちを見ていると、だいたいこういう行動パターンが多く、この点その活動度の高さにはいつも感心します (ちなみに今回も、Juan は「東京はもうだいたい歩ける」とうそぶいていました)。

 なので、私たちとしては、彼らがまた訪れてないところに連れ出さなくてはなりません。 その点「海ほたる」は、都心や周辺の観光地からはちょっと外れているから彼らも見落としているし、海底トンネルや長大な海上橋などといった建築物を見せるのも兼ねられる、好適な行き先というわけです。
 実は過去にも、このような研修生たちを連れ、ノリくん夫妻ともども、何度か行ったことのあるコースなのでした。

 都内は金曜日が雪まじりの雨、土曜日は一転して快晴、そしてこの日曜日も、快晴とは行きませんが好天に恵まれました。
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 ただ、下の写真ではちょっとわかりにくいかも知れませんが、この日は風がものすごく、ソワなんかは丸ごと飛ばされてしまうのじゃないかと思うほどで、ちょっとハラハラしました。
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 PabloとJuanは、海底トンネルとか海上橋とかといったものに大変感激しており、
 「これはどうやって作ったんだ?」
 「費用はどれくらいかかったんだ?」
 「これは国の計画か、それとも民間の計画か?」
なんてことを盛んに聞いてくるので困りました。当時の建設の責任者の方にでもお出まし頂かないと。
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 行ったことのある方はご存じと思いますが、ここには海底トンネルを掘るのに使われた掘鑿機の実物が、オブジェとして展示されています。
 この傍らに、簡単ですが工法の概要を記した説明板があったので、ちょっとだけ疑問を解決していただけたようです。
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 ちなみに写真に写っているのはガイジンさんお二人と、得意のスペイン語でいろいろ説明をするノリくんです。


 ところで子どもたち。

 ジュンは、「星座のこと、何かないかな~~」と言っていますが、海ほたるにそんなものがあるわけはないし。
 でも、強いて言えばそれに近いものを自分で見つけました。
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 デッキにある置物。
 ピナとソワは、これはお金を入れれば動くものだと思ったようで、特にソワは
 「おとーさん、うごかして! うごかして!」
   ・・・ なんか、こういうときだけは不思議に言葉がちゃんと出てくるソワでした。
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 帰ってきてからは、子どもたちともども、韓国風焼き肉屋さんのお座敷席で食事しました。


 好天に恵まれたこの日の翌日・・・
 都内はこんな天気。
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・・・ 彼ら二人に、「日本語ではこういう状況を、” 普段の行いが良い” と言う」、と言いましたら、スペイン語にも同じような言い回しがあると言って、とても喜んでいました。


ひな祭り前後 [子どもたち]

 ここのところしばらく多忙でブログにかまっている時間がなく、今日は久々の更新です。


 ちょっと過ぎてしまいましたが、ひな祭り前後の子どもたちの様子です。
 
 仕事の関係で4日に家でひな祭りをやりました。
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 現在、諸々の都合で横浜市内(家があるところ)と東京(職場の近く)の二重生活になってしまっている私たち家族。
 ひな人形はあるのですが横浜に置いてきてしまっています。東京の住居は狭いので。
 それで、今年は子どもたちが作ってきた作品とともにひな祭りです。
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 まず、ピナが幼稚園で作ってきた作品です。 ピナの作品らしく、笑顔満面のおひな様です。
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 次はソワが保育園で作ってきたもの。 おおもとの形はもちろん保育士さんたちが作って、ソワは顔を描いたということのようです。
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  ・・・ 2歳の子が作ったにしてはまあまあよくできているかな・・・ と思いました。


 ひな祭りということで、ちらし寿司を作ったのですが、子どもたちに聞くとこういうものを食べたのは初めてとのこと。 今まで、こうした伝統行事をちょっとおろそかにしてきたか、と反省しました。
 当日のちらし寿司。 ソワの分です。
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 デザートは季節もの、いちごケーキ。
 スポンジ生地は妻が作り、生クリーム泡立ては私、そしてその生クリームを生地に塗ってイチゴをまぶすところは子どもたち、と分担した、家族総出の作品(?) です。
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 しばらく子どもたちが静かにしているなあ、と思いましたら・・・
   ・・・ 何やらケーキに向かって一心不乱に作業中 ・・・
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 なんと、冷蔵庫にあったブルーベリーを勝手に持ち出してきて、それをケーキに乗せていました。
 ピナ曰く、「ケーキでよくこういうのあるでしょ」 とのこと。
 しかし子どもはよく見ていますね、こういう事だけは。
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 仕事が落ち着いて、二重生活状態が解消されたら、家で本当のおひな様を飾って、こういう風に伝統行事を祝いたいと願っています。

盛りだくさんの休日 [子どもたち]

 私は、昨日は一日仕事でまったく家にいなかったので、今日は朝から子供たちにいろいろつきあいました。

 まずは朝、ピナのホットケーキ作り。
 前からやってみたい、とピナが言っていたことで、私の方針転換(子供にも料理器具をいじらせる)により、今日ようやく念願が叶いました。
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 最初、何枚かお手本を見せてから手を出させたのですが・・・
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  こちらの心配をよそに、予想以上の手際の良さとできばえ。 ミックスをフライパンに垂らすところも、そしてひっくり返すところも。
 やっぱりこういうことは、積極的に手を出させるべきだと痛感しました。



 夕方は、家族でちょっと外に出かけました。
 これまで遠巻きには何度も目にしていた東京スカイツリー。
 すぐ近く(隅田公園)まで行くと、遠巻きで眺めているのとはまったく違う迫力で、子供たちも興奮していました。
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 あいにく、着いた頃から雲が出始めたのですが、日が沈む頃、少しの間西日に映えるタワーの光景を見られました。

 スカイツリーは今年中に完成する予定なので、完成の後にはまた展望台にも行ってみたいと思います。
 ただ、工事中の姿というのは今しか見られません。 てっぺん近くにクレーンが3台据え付けられているこの姿と一緒に子供たちを写真に収め、スカイツリー建設中の東京という、歴史の証人になってもらいました。

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近所のもちつき [子どもたち]

 今日の日曜日は、近所の稲荷神社でもちつき会がありました。
 私はこの行事を知らなかったのですが、長男が学校でこれを聞きつけてきて楽しみにしていたので、へえ、そんなことがあるのか、と思ったというわけです。 気をつけて近所の町内会掲示板を見ますと、確かにこの会のお触れが出ておりました。銘打って、「二の午 神事およびもちつき大会」 とのこと。


 小さな神社で、こう言っては失礼ですが普段は人気もないところなのですが、今日はたくさんの幟が立って、町内会の役員さんたちとおぼしき方々がせわしく出たり入ったりしていました。

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 簡単な神事の後、餅つき開始。
 せいろで餅米をふかし、ふかし具合を確かめて臼に運び、若手の人たちがかけ声とともに杵を振り下ろす、という、近年なかなか見られなくなった本格的なものでした。

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 すっかりつき上がって、もう大丈夫、となったところで子供に手を出させてくれました。

 ジュンは一応一人で。
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 ピナとソワは一緒に。
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 つき上がったお餅を、女性陣が手際よく、きなこ餅とあんころ餅の詰め合わせにしていきます。
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 つきたてだからそれだけでもおいしいのですが、特にこのアンコは絶品でした。どこで手に入れるのかきいてくればよかったが忘れてしまいました。

 ソワが境内を走り回るので、しばらくそれについて歩き、息を切らして餅つき会場に戻ってきたら、
 ジュンとピナは知らん顔して・・・こういうことになっていました。
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 ちなみに私は、二月も後半に入ってから餅つき大会とはちょっと季節外れだな、と思っていたのですが、この疑問を解くキーワードは上に書いた 「二の午」 のようです。
 広辞苑によりますと、二月の最初の午の日が「初午」、二回目の午の日が「二の午」で、いずれも稲荷神社において豊作を祈願した神事やもちつきが古来から行われてきたとのこと。 初午の日にやるか、二の午の日にやるかは地方や神社によるらしく、たまたま私の住んでいるところは「二の午派」ということだったようです。

 ひょんなことから、日本の伝統行事について一つ勉強してしまいました。 おまけにおいしいもの付きで。

雪の夜 [日常]

ちょっと時間が過ぎてしまいましたが、先日は東京でも数年ぶりの積雪でした。
写真は夜中の12時頃。 家の付近では積雪約3cm。

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でも、この夜は気温が高かったのでぬかるみのような状態であり、翌午前中にはほとんど溶けてしまっていました。 盛り上がっていたのはただ、子供たちのみ。

オイゲン・ヨッフムのCD part2 [音楽]

前に書いた記事から間が開いてしまいました。

 晴れて我がものとなった、私の最初のLPのその内容はといえば、それは素晴らしいものであった。
私はその後今に至るまでに聴いた「田園」の演奏の数は数十あるが、未だにこのヨッフム/ロンドン盤は私の中でトップに君臨し続けている。
 数え切れないほどの「名演奏」がある名曲のこと、異論・反論が多々あることは百も承知の上で、私は人から、「田園」を聴きたいのだがどのCDを聴けばよいか、と聞かれたら今でも即座にこの演奏を挙げている。
(注: ただ惜しむらくは、現在この演奏のCDはきわめて入手困難である。こんないい演奏を、メーカーはなぜもっと大々的に出さないのだろう。)

 ところで、この記事の目的はヨッフムという指揮者についての私の個人的な思い出を記すことであった。

 さて、私はこのLPを繰り返し聞きながらあるとき、そのジャケットの文字の部分に目をやった。
 EMIから発売されているLPだったので、もちろん言葉は英語だった。

「べートーベン 交響曲第6番 田園」
 まず、こう英語で書いてある。 ちなみに "pastoral" という単語をこのとき覚えた。

「ロンドン交響楽団」
 中学2年生だったので、これも英語で何とか読めた。

 問題はその次であった。
 どう考えても指揮者の名前であるその行には、こう書いてあったのだ。

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(残念ながらこの画像はここで書いているLPのものではありません)

 例えようのない違和感と混乱とで、軽い目眩を起こしたこの瞬間のことを、あれから30年以上経った今でも、私はありありと思い出すことが出来る。
 ・・・ ここにはヨッフムという指揮者の名前が書いてあるはずではなかったのか?
 ・・・ レコード会社が、誰か別の指揮者の名前を誤植したのか?
 ・・・ いやいや、そもそもこれはアルファベットか? 
       アルファベットに似た別の文字体系ではないのか?


 頭の中を、こんな混乱が駆けめぐっていた。

 そう、当時まだ学校で英語を習い始めて日の浅かった私にとって、仮にこれがアルファベットであるとすれば、さしずめ「ユージェン・ジョーチャム」くらいの発音しか、その字列からは浮かんでこないのであった。
 でも理性的には、ここには「オイゲン・ヨッフム」と書いてあるはずだ、と思う。私は、この「ン」と「ム」しか重ならない、現実と理性の絶望的な乖離の中、いま目の前にしている、確かにアルファベットで書かれているはずの文字が、何かハングルやアラビア文字ででもあるかのような、そんな錯覚すら覚えていた。

 結局この問題が最終的に解決するのは、大学の教養部でドイツ語を学んだ時であったのだが、そのときに至るまでの数年間、この 「オイゲン・ヨッフム読み方問題」 は私の中で折に触れ頭をもたげては、何か不思議な感情で私をとらえ続けたのである。
 そして、後で考えれば、この時が、私にとって英語以外の外国語に目を開かれたときだったのだ。

 「読み方問題」が解決されるときがやってきた。大学教養部のドイツ語の授業である。
 私が学んだ大学は国立の単科大学であるが、教養部ではドイツ語が必修という、なんか旧制高校みたいな古色蒼然たるカリキュラムが当時はあった。(ちなみに現在は変わっています。念のため。)
学生は私を含め、ほぼ全員がドイツ語は初めてだから、授業はABCの読み方から始まるわけだ。
 ちなみに最初の授業の冒頭、そのとき教わった先生が、「まずドイツ語とはどんな響きの言葉なのかを聞いてくれ」と言って、シューベルトの「冬の旅」を教室のラジカセでかけたことが、なぜか鮮明に頭に残っている。
 授業は進み、ドイツ語の綴りの読み方に入る。そして何日かしてその単元が終わる頃、私の「読み方問題」はきれいに解決されていた。
「EU」も、「GEN」も。
「JO」も、「CH」も、「UM」も。
 この日をもって、「EUGEN JOCHUM」という指揮者の名前は、私の力で、間違いなく「オイゲン・ヨッフム」と読めるようになり、またあのLPも初めて疑いなく、この指揮者のものであることになったのである。
 (ついでに、このとき解けた謎がもう一つあって、それは近所の酒屋さんに貼られていたビールのポスター 「レーベンブロイ」 の読み方であった)

 そしてこの「読み方問題」の解決は、私にとって一つの扉が開かれた時となった。
 医学部というところに入った私ではあったが、医者になるための勉強を始める前に私はまず、世界には英語以外の言語があること、アルファベットは英語の専有物ではなく、それぞれの国の言語に特有の文字の読み方や文法があることを知ったのである。今にして思えば当たり前である。でも、当時の私には感動するほどに新鮮な、新しい世界への開眼であった。

 後に専門の勉強が始まっても、この「開眼」が私にもたらしたものは、多くの場合好影響を及ぼした。
 医学生にとって苦行であるはずの、数千に及ぶラテン語の解剖学用語の理解と暗記は、私にとって一つの楽しみになった。ドイツ語を習ったときと同じように、ラテン語にはラテン語の読み方、文法があることを知り、それに触れられることになったからだ。
 後に入局した教室で、毎年訪れる中南米からの研修生とコミュニケーションを取りたくて、スペイン語を勉強した。英語をほとんど解さない彼らに対して不満と不便を述べる人が多かったが、私には、もう一つ新しい世界が開けるための機会と映った。

 私は英語によるグローバリズムというのは一つの時代の流れであって、これに対して神経過敏になるのはどうかと思っている。それを言えば、古代ヨーロッパにおけるラテン語の支配はおそらく今の英語支配よりももっと強力なものであり、これによって跡形もなく消え去った言語がいくつもあったというが、これがヨーロッパにとってマイナスであったかと言えば、それは立場や見方によるであろう。
 ただし、グローバリズムというのは、末端の人々の日常生活を急激に改変できるわけではない(100年後のことは私にはわからないが)。 少なくとも現在、世界は英語だけで動いているのではない。 私だって、自分の狭い専門分野の仕事をしているとき以外は、英語は読まないし聞かないし書かない。 論文ならともかく、子供の作品を見に行ったり、雪の中で遊んだり、ケーキを作ったりしたときの様子を、英語で言えと言われても私には100%無理である。 同じ理由で、ドイツ人も、スペイン人も、コロンビア人も、エクアドル人も、エルサルバドル人も、みんなが英語がしゃべれるわけではなく、人々は普段はもっぱら自国語ばっかり使って生活しているのだ。
 当たり前過ぎて話にならないくらいのことである。でも以外とその事実は理解されていないように私には思われる。 だから南米から人が来たときに「英語くらいしゃべれよ」と発言したり、 フランスの田舎町に学会に行ったときに「このメニュー、フランス語しか書いてないじゃないか」とボーイに英語で文句を言う(そして通じないことに腹を立てる)人が出てくるのだ。

 オイゲン・ヨッフムは、クラシック音楽界の中で、決してメジャーではない一人の指揮者に過ぎない。
 ただ、私はこの指揮者とのLP1枚、しかもそのジャケットを通した出会いによって、こんな新しい世界にまみえることになったのだった。

 そしてここには偶然が一つある。
 この指揮者の名前の綴りには、上で分解したとおり、ドイツ語として特に特徴的な読み方をする字列が多いのだ。私が中学生の手にしたLPの指揮者が、同じドイツ人であってもたとえば「Hans」とか「Wilhelm」とか「Fritz」とかというものであったならば、私はこれほどの違和感と衝撃を受けることはなく、従って「読み方問題」も生じず、そして少なくともこの時点では「開眼」はなかっただろうと思われる。

 これが私にとって、この指揮者に対する印象的な思い出の最初であった。

・・・・・
冗長な文章を失礼しました。最後まで読んでくださった方がもしおられたら感謝します。
次回は、流石にここまで引き合いに出したら何も書かないわけにはいかないので、上記の「田園」の演奏について私見を短く(←今度は必ず短く!)書きたいと思います。

ピナ、お料理に挑戦 [子どもたち]

 ピナは来月5歳の誕生日。
 本人は一応女の子らしく、着る服とか、お料理とかにはけっこう興味を示しています。
 年齢的にも、服の方はともかく、お料理の手伝いなどはさせて、そういう興味を伸ばしてあげてもいいかなー とは思うのですが・・・
 でも、以前ためしに少しやらせてみたら、

   ソースはこぼす。
   ボウルはひっくり返す。
   皿は割る。
   フライパンでやけどする。
   ベタベタのままの手でテレビのリモコンをいじる。
   片栗粉を前に 「ハーックショーーン!!」、 周りにいる人は真っ白け。

・・・  ・・・ で、親としての結論は、もう少し成長するのを待ってからにするか・・・ でした。

 しかし最近、ほかの家のお子さんがたの様子をブログで拝見していますと、ピナと同年代でもしっかりお料理を手伝っていたり、中には簡単なものなら独り立ちしている姿も紹介されています。
 おい、ピナ、もうちょっとしっかりしろ!
    ・・・・・
 と、思ってしまいますが、ちょっと待てよ。 
 「お手伝いとか、興味を伸ばすとか、”教育”と考えるから踏み切れない。
  まぜまぜ、こねこね、ーー ただの遊びと考えて、一緒に遊んであげよう」
と、親の側が発想を転換。
ということで、先日、妻のギョーザ作りにさっそく動員しました。

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 身を乗り出して集中。

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 がんばってやっています。
 まな板の一番向こう側の列、皮の口が閉まりきっていないのがピナの作品。

という調子で、結果は上々。というか予想以上でした。
もちろんアクシデントはありましたが、
「遊び、遊び!」
と考えれば角も立たないものですね。

 余勢を駆って、先週末はケーキ作りに挑戦。
 どんなケーキがいいか、という問いはピナの一言 
「いちごショートケーキィッ!!」
で即決。
 泡立てなどの力仕事だけ私が担当し、小麦粉のふるい、オーブンの扱い、生クリーム塗り、いちごの飾り付け、などはできるだけピナにやらせました。

 でもやっぱり・・・ イチゴを切る包丁の作業だけはヒヤヒヤもの。
   父  「あーっ、ダメだ、指をそんなところに持って来ちゃ!!」
   ピナ 「そんな大きい声出さないでよ! びっくりして指を切りそうだったじゃん!!」
という調子でした。

 で、作品。

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 子供が中心になってやったにしては上出来かと思いました。
 ケーキの表面、一番手前側のホイップの盛りつけは「ハート」だそうです。 そのすぐ左のいちごが落ちかかっているのがご愛嬌。
 今回は作るのを私も一緒になってやったので、ケーキ制作途中の写真が撮れなかったのが残念でした。
 ちなみに皿の横にある消防車は、外遊びに行ったとき、ソワが消防署の前で消防車を見たくてたたずんでいたら、署員の方が下さったものです。

 では、ピナの作品、みんなそろっていただきまーす!
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雪を見に行く [子どもたち]

 今日は、東京でもこの冬初めての本格的な雪となりました。
 天気予報では昨夜から、ということでしたが、私が住んでいるあたりでは夜の間は雨で、雪になったのは朝9時過ぎからでした。

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 寒いし濡れるし、あまり外に出たくないなー ・・・ というのは大人の論理。
 子供たちは  ♪♪雪やこんこ、あられやこんこ♪♪ の歌の犬よろしく、
「おとうさーん、早く雪を見に行こうよぉーー」
を連呼。 あきらめて、昼前から近所を歩いてきました。

 ジュンは昨日、腹痛と吐き気を訴えて保健室のお世話になり、病院で急性胃腸炎(ノロウイルス?)と言われてしまったので、今日は一人、こたつで丸くなっていてもらいました。

 ピナとソワが外を駆け回る組です。
 あまり遠出したくないので湯島天神に行きました。

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 湯島天神は現在、「梅祭り」 開催中です。二人は行き先を聞いて、立ち並ぶ露店でお父さんに何をおねだりしようかと楽しみにしていったようなのですが、・・・

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・・・ この天気では、みーんな店じまい。父親としては助かりました。


 せっかく来たから境内を歩きました。

 湯島天神名物、合格祈願の絵馬。
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 親や親戚の思いというのは、いつの世も変わらぬもの。
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 受験料だけでも大変そうだけど、是非みんな受かってほしいと応援したくなります。
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 もう一つ「親の思い」ですが、こちらは医師国家試験。 冒頭の文句がいいですね。
 私もちょうど20年前、試験の前日に友人と連れだってここに願かけに来たのを懐かしく思い出しました。
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 本殿の周りにずいぶん人が多いな、と思ったら、中で結婚式をやってました。
 お二人も、まさか今日に限ってこんな天気になると思ってなかったでしょう。
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 梅の方は、さすがにまだこれからという感じです。でも、梅林に雪、という水墨画のような風景を見てなんだかほっとしました。
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  今日は雪ですが、それほど寒い日というわけではないので、降ったはしから溶けてしまい、積もるには至らないようです。
 でも夕方近くなって、降り方はますます強くなってきたので、今夜や明朝はどうなっているか。


 ジュンは今日登場しなかったので、先日持ち帰ってきた図工の作品を一つ。
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 木っ端に色セロハンを切り貼りして作る置物。
 モチーフは「オリオン」と「牡牛」で、もちろん現在凝っている星座からの発想です。
 きれいにできていると思いますが、こういうのは写真の撮り方が難しくて、木についている部分がよく出せないのが残念です。

ラッセル 『西洋哲学史』 英語原書 [仕事場]

 バートランド・ラッセル著 『西洋哲学史』 はこの分野の書物としてはいろいろと賛否両論のあるもののようです。 哲学とはまるっきり縁のない私がこの本を知っているのは、大学の教養部で取った哲学の授業で参考図書として(教科書としてではない)紹介されていたから、というだけです。 

 最近はこの本のことを思い出すこともなくなっていたのですが、ひょんな事から、これの英語の原書を手に入れることになってしまいました。なぜって、こんな書評を目にしてしまったからです。

曰く、

 ラッセル「西洋哲学史」: これは、およそ英語で論文というものを書こうとする、すべての人
              の必読本である。 
                その文体は論理的な英語文というものの、これ以上ないお手本
              である。 また、必要以上に難しい語彙を一切使っておらず、平明で
              大変に読みやすい。
                (英国人である)書評者私自身が、英語のお手本として時々参照
              するほどである。

・・・ 云々。

そこでさっそく、勤め先の大学の生協に注文を入れておき、先日届きました。

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 私はここのところ大学院生と「英語で科学論文を上手に書くには」みたいな本の輪読会をしておりました。
(とにかく、現在は論文は英語じゃないと書いたことにしてもらえず、日本語の論文は場合によっては業績評価に入れてもらえない事すらあるので、大学院生に英語論文の書き方を勉強させるのは必須です)
 その本の中に、イギリス人が「日本人研究者がよくやってくれる英語の間違いについて」という、イヤな一章を書いているのですが、 ・・・まあ、そこに挙げてある「間違いの例文」を読んでいると、過去に自分が書いたことのあるものばかりで、もう穴があったら入りたいのですが・・・  その章の最後をこう締めくくっていたのです(以下は厳密な引用ではなく、要点だけ私が適当に書き直しています);

 「・・・ とにかく、良い英語論文が書けるようになるには、良い英語論文をたくさん読むに限る。 でもあんたたちは、どれが良い英文かなんて分からないだろうから、私からおすすめをいくつかリストしてあげて、この章を終えることにしよう。」

 この「リスト」の一つとして載っていたのが上記の書評です。
 これを見て、久々に見る書名に懐かしさがこみ上げてきて、また英語のお手本にもなるのなら一石二鳥とばかりに、一気に手に入れてしまいました。

 教養部の時に読んだのはもちろん邦訳です。神保町をほっつき歩いて、店先のワゴンに入っていた格安中古本を見つけました。 市井三郎訳で、現在もなお みすず書房 から出版されているようです。内容はかなりあって上中下の三巻本です。
 当時、早速手にしたのは良かったのですが、・・・やっぱり難しすぎました。 結局、通読は現在に至るまで二十何年間か達成できていません。ただ、興味を引かれたところを、折に触れひろい読みを重ねておりました。

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 「個々の哲学者の思考を理解するためには、その当時の社会的な背景を同時に理解しなくてはならない」、という立場に立って書かれている本です。
 あと特徴があるとすれば、独断と偏見に近いことすらもある、ラッセル個人の見解が躊躇せずに述べられていることでしょうか。ただし、これが述べられる際には、「私見であるが」の前置きが必ず書かれているので、読者は一般的知識と、ラッセルの私的見解とを混同することはありません。

 そうそう、私がこの原書を手に入れたのは、英語の書き方の勉強をするためでした。
 でもまず、ちょっとのぞいてみよう、と思い、適当にページを開いてみたら、こんなことが書いてあるではないですか!
 「ソクラテス」の章で、この人物の思想についてはプラトンとクセノフォンの2名が伝えているが、「クセノフォンはプラトンほど癖がないから、クセノフォンの記述の方が信頼できる」、という一般見解に対してラッセルが反論を述べた後に続けている文章です;

"...  A stupid man's report of what a clever man says is never accurate, because he unconsciously translates what he hears into something that he can understand. I would rather be reported by my bitterest enemy among philosophers than by a friend innocent of philosophy. ... "
(stupid man がクセノフォン、 clever man がソクラテス、をそれぞれ指しているのは前後を読めば明らか)

私は学生への講義では、専門に分野についてできるだけ 「かみ砕いた」 話をするように心がけているつもりなのですが、その「かみ砕き」の結果がもしこのようであったとしたら・・・!!

 適当に開いたページにこんな突き刺さる言葉が書いてあるのだとすれば、最初から読んでいったらどんな事をこの本に言われるんだろう。 ある意味恐ろしい。
 うーん、本当に勉強の参考になりそうな本だ!!

ピナの絵 [子どもたち]

先日、ピナが描いた絵。 空を飛ぶキツツキと、それを見るおかあさん、ピナ、弟。
(ピナはなぜか、私をあまり絵に登場させない)

頭の赤いところからすぐキツツキと分かりますし、構図や色の使い方も大胆で、
よく描けている絵だと思いました。
親バカついでに、ピカソの作品に同じような構図の絵がありますね。

でも、鳥が黒いせいだからでしょうか、私はちょっと不吉な雰囲気を感じてしまって
ドキッとしました。

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