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震災その後3 仙台でガス復旧 [日常]

 今朝、仙台の父から電話があり、昨日ついに父の家でもガスが復旧したとのことでした。
 同時に、仙台市内全域でのガス完全復旧が宣言され、いろいろあった私の周辺でも久々に明るいニュースになりました。
 父の話では、父の家の作業に携わったのは札幌市ガス局の方だったと。またお隣の家では大阪市ガス局の方だったそうで、こんな風に全国からの救援により、地震から1ヶ月程度で復旧できたのだという事実に本当にありがたく思いました。 
 父は、作業に来ていたその札幌の人に声をかけて話を聞いたところ、彼らは地震直後に仙台入りし、その後1ヶ月ずっと仙台で作業しっぱなしで家に帰っていないそうです。 
 その後昼食時、作業用の軽トラックの中でその方々がカップラーメンを取り出すのを見て、父はさすがにいたたまれなくなり、昼食代を渡して、どこかで食べてきて下さいと言ったそうです。 そうなると彼らの泊まり先も心配になりますが、それはさすがに鳴子の温泉宿をあてがわれて、毎日そこから仙台市内に来ているということで、せめてそれくらいのことはされているのだと私も少し安心しました。

 ガスが復旧すると温かいものもコンスタントに口にできるようになると思うので、父もいくらか楽になるのではないでしょうか。


 ピナはその後、おじいちゃんを励ますものをもう一つ作って送りました。
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 宅配便用のボール紙封筒の裏に書いたもの。
 相変わらず判読困難ではありますが、「みんなだいすきだよ」 の文字が見えます。
 中央のハートの中にいる4人のうち、一番上の帽子をかぶっているのがおじいちゃんです。 あとは家族の顔をひとりひとり。 ピナの意図としては、「みんな、おじいちゃんと一緒にいて応援しているよ」 というメッセージを込めたようです。
 ちなみに私は、ピナがこれを書いた当日、無精ヒゲをのばしっ放しにしていたので、絵の一番右下にこんな顔を描かれてしまいました (>o<)
タグ:復旧 ガス 震災

子供たちの震災支援 [子どもたち]

 今度の震災で、仙台に住む私の父は、広い意味での被災者としていろいろ不自由な生活を現在なお強いられています。 家の中はもう足の踏み場もないそうで、特に母が生前使っていた姿見が倒れ、広範囲に細かいガラス片がまき散らされている状態はもうどうにもならないとのことでした。 父も高齢ですし、一人で片付けるのには限界があり、やっと作った布団一枚分のスペースで現在寝起きしているとのこと。 ガスが復旧しないのでロクな調理もできず(父は結構料理が得意)、かなり状態は悪いようです。
 ここで駆けつけることがままならないのが、現在の私の悔しいところです。

 こんなことを子供たちに話しておりましたら、ジュンがまず率先して、「じゃあ、おじいちゃんにお手紙書く」 と。
 クリスマスに家内の両親からもらったお手紙セットを早速取り出し、何かしばらくごそごそとやっていました。それをそのセットの封筒に入れ、
「これ、おじいちゃんに出すよ。どうすればいいの?」
とのことでしたので、そのセットの封筒ごと定形の封筒に入れ直し(セットのは小さすぎてそのままでは送れない)、表書きと切手を貼るところまでやって見せて、ポストへの投函は本人にやらせました。
 実は、「中を見ちゃダメだよ」 ということだったのですが、本人には内緒で、ジュンが寝た後に撮った写真がこれです。
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 「せんだいのおじいちゃんへ 
  じしんがなん日もつづい(て)こ
 わかったよ。 おうちはぐらゆれ
 るしものもおちるからたいへん
 だったよ。 おじいちゃんのおうち
 はものがおちなかったかしんぱ
 いだよ。 ぼくはがんばる
 からおじいちゃんもがんばっ
 てね。」

 「見ちゃダメ」と言っていましたが、一年生にしてはまあまあよく書けているのではないかと思いました。


 ピナは「おじいちゃんは柿が好きだから、柿を送ってあげる」と。 ちなみに柿が好きというのは事実です。
 「今、柿なんかないよ」 という私の野暮な指摘などには耳もくれず、出来上がったのがこれです。
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 判読困難ですが、上の二つの「柿」には、その二つにまたがって 「せんだいのおぢいちゃん」と、タテ書きで書いてあります。 「おじいちゃん」ではなく「おぢいちゃん」なのが時代がかっていてご愛嬌。

 現在の状況なので、あちらに着くまで3日かかりましたが、着いたその日に、「おじいちゃん」から電話があったことは言うまでもありません。

ソワ、入院す [子どもたち]

 先週、ソワが入院するという騒ぎがありました。
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 去る3月26日土曜日の朝、ソワは起きてくるなり少し吐きました。
 小さい子はたまにこういうこともあるし、またその後は朝食をちゃんと食べたので、大したことなかったか、と思っていたら、しばらくして食べたものを全部吐きました。
 これでさすがにただ事ではないと思い、たまたまこの日に土曜診療をやっていたかかりつけの小児科に連れて行きました。 先生曰く、「ウイルス性の胃腸炎ですね。まだ流行っていますから。 少しづつ水分をあげて下さい。 月曜日にまた様子を見せに来て下さい」 とのこと。 「無理に飲ませるほどではない」という整腸剤だけ出されて帰ってきました。 この時点では、ソワはまだ活気もあり、こちらもあちらもそれほどの切迫感はありませんでした。

 状況が緊迫したのは翌日曜日。 
 とにかく吐く、下痢する。 胃に負担をかけないようにと、スプーンで少しずつあげる水やお茶も、口にする片っ端から全部吐く。 そして大して水分が取れてないのに、ほとんど水がそのまま出てきたような、まるでおしっこのような下痢を大量にする。 これが一日中です。 脱水症状にならない方が不思議です。
 夕方には、体中の水分が搾り取られて、いつも丸顔のソワが、まるで骸骨のような顔貌になってしまいました。 本人は最初は泣いていたのですが、夜には泣く元気すらなくなってきてしまいました。 こうなると緊急事態です。

 翌28日月曜日、朝一番で病院へ。 「来週もう一度見せに来て下さい」どころの騒ぎではありません。 さすがに先生も一目見るなり、「点滴します」。
 左手の甲に点滴の針を刺されました。 ソワは、これをされてももう泣き声を上げられないほどになっていました。 そして処置室に移され、こんな姿に。
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 そして、必要な点滴の量と、それにかかる時間から計算して、入院することになってしまいました。
 私が夕方、仕事から病院に回ったときにはこんな様子。 ソワはまだ意識がモーローとしています。
 そばで見守っているのはジュンです。
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 このままひたすら点滴を続け、そしてその日の深夜・・・
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やっとソワが目を開けて、なんと・・・
「おとーさん、ハンバーガー、 たべたい」
・・・ とつぶやいたこの瞬間には、本当に涙が出そうになりました。


 これ以降は順調に恢復し、翌29日の早朝に見舞ったときには、
「おとーさん、 おにぎり、たべたい」
とのことでしたので、早速ご所望のものを届け、回復後の最初の食事風景を見届けました。
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 同日の昼は病院の給食。
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こちらもこのとおりの食べっぷりで、しかもその後も吐くこともなく、この日の午後に無事退院となりました。

 退院後も、下痢がしばらく残ってしまい保育園もお休みしておりましたが、それも今日(4月3日)にはほぼなくなり、明日から保育園に復帰できそうです。

 ちなみにソワが入院した病室はきれいだったし、窓からの眺めもこんなでした。
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 写っている木の枝は桜です。 花の盛りの頃に入院した人は当たり、なんていう不謹慎な感想を抱いてしまうほど、目の前に桜がたくさん立ち並んでいました。
 ソワが入院当日はまだこんな感じでした。
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 でもおかげさまで、退院後は食欲も戻り、晩にはご飯をおかわりした上、「快気祝い」のケーキまで平らげました。 兄弟そろってアニメを見られることは、本当に幸せなことだと、今度の一件を通じて改めて感じました。
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