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地震その後 子供たち [子どもたち]

 地震の後、子供たちにもいろんな行事がありました。
 子供たちも地震のことはいろいろと耳にしているようなのですが、東京に暮らす私としては、子供たちが前から楽しみにしていた行事くらいはできるだけ実現してほしいと思いました。
 
 いくつか中止になったものもありましたが、ピナの幼稚園の卒園式、ソワの保育園の卒園および成長を祝う会は執り行われました。
 あと、この期間中にピナは5歳の誕生日を迎えました。

 まず17日は、ピナの幼稚園の卒園式でした。 ピナは今年は送る側です。
卒園式1.JPG

 卒園する年長組に仲の良い子がいたピナは、その子が目の前を通り過ぎていったとき、こんな顔になってしまいました・・・
卒園式2.JPG

 私は式には出席していなかったのですが、他の子のお母さんから聞いた話では、式ではピナは結構大変だったようです。
 その話によると、

   年長組がお別れの歌を歌い出したとき、その中の何人かが泣き出した
                     ↓
               ピナがもらい泣き開始
                     ↓
               その声がクレッシェンド
                     ↓
   その泣き声はますます大きくなり、ついに司会の教頭先生のマイクの声が通らないまでに
                     ↓
        やむを得ず式を中断し、担任の先生がピナをなだめにかかる
                     ↓
             数分後、ようやく静まり、式再開

ということだったそうです。
 一部のお母さんからは、「ピナちゃんは感情が豊かな子ね」 といわれましたが、普段からピナの行状を目にしている私としては、単に興奮しやすく、激情派なだけだと分かっているので、ああまたやってしまったか、という感じでした。


 翌18日はピナの5歳の誕生日。
 この地震の余波で、いろんなことが自粛ムード、またスーパーに行ってもあまり食材がないような中での誕生日となりました。
 うちでも、親戚の何人かがすでに絶望的、などの未確認情報が流れています。
 私も、ピナから誕生日プレゼントの具体的なリクエストを聞いていたにもかかわらず、それを調達する暇も余裕もありませんでした。
 でも、一生に一度しかない5歳の誕生日。 せめてできるだけのことをしてあげたいと思い、午後を休みにしてピナ、妻と一緒にケーキを作りました。
ピナ誕生日2.JPG

 本当ならもらえるはずのプレゼントのない誕生日。
 「地震だからしょうがないよ。 仙台のおじいちゃん、地震で怖いんだし」
という、ピナの気丈な言葉に、5歳になったことを実感しました。
ピナ誕生日1.JPG



 明けて19日は、ソワの通う保育園での卒園式。 ソワはもちろん送る側です。
 送る側の小さな子供たちも、「成長を祝う会」と題していろんな出し物をやりました。
 ソワの所属する2歳児クラスは歌と踊り。
 保護者たちが居並ぶ異様な雰囲気に、泣き出してしまってまったく演技にならない子が多かったのですが、ソワはこういう席では肝っ玉が座っているらしく、一人超然として演技らしいものをしていたのには、親ながら感心してしまいました。
ソワ発表会.JPG
 踊りの様子、保育室の飾りなど、いろいろ面白かったのですが、どうしても他の子の顔が入ってしまうので、ここにはソワのポワーンとした様子しか載せられないのが残念です。



 週末、しばらく空けてしまった横浜の家へ。
 玄関前には、水仙が咲きそろっていました。 また、チューリップもしっかり芽を出していました。
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今年の冬は寒い日が多かったので、チューリップの球根もしっかり寒さに晒されたと思います。きれいな花が咲くものと期待しています。
 
 しばらく見ないうちに、クリスマスローズはすでに盛りを過ぎていました。
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 子供たちと公園に行きましたら、こちらには白木蓮が (木によりますが)。
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 いろいろと大変でもあり、ストレスの多かった1週間でしたが、それゆえにと言うべきでしょうか、子供たちは公園で元気いっぱいに遊びました。 私も久々にまるまる半日一緒に外で遊びました。

(動画のアップがうまく行ってないかもしれません。 今後研究します)



 地震の余波の写真をひとつだけ。
 私の職場の近くに、小さなガソリンスタンドがあります。 普段はそれほど混んでいるのを見かけたことのないところなのですが、地震の後のガソリン逼迫騒ぎはこんな光景を現出させてしまいました。
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一番左は給油待ちの車の列。 スタンドはどこにあるかというと、写真の一番右手奥、道路標識のあるところのちょっと先です。 何か背筋の寒くなるものを感じました。
 昔、オイルショックのときにも、ここまでのことはなかったような気がしますが・・・

地震その後 2 [雑感、コラム]

 一昨日私の父が、三陸の実家のある町に車で乗り込み、状況を見てきました。
 目的地は何度か報道されている陸前高田です。 うちの実家は、その町からさらに岬の方に入り込んだところにあります。 父によれば、途中の道路は一応通ってはいるものの交通規制が厳しく、父はその都度事情を話しながら通してもらったということです。

 また昨日は、知人親類の安否を触れ回るために一時的に盛岡に移動した親戚から電話がありました。 

 父、親戚の話を聞くと、地元は一部では想像を絶する惨状であり、また幸いにも他の一部ではそれほどでもないところもあり、ということ(当たり前ですが)で、かなり詳細が分かりました。

 親族は無事が分かった人が多く、あの地区では奇跡的なことだと思いました。
 ですが、私が親同然にかわいがってもらった祖母方の叔母ユキとその家族は、絶望的とのことでした。 報道で流された町の状態を見て、この人たちについては覚悟していましたが。
 でも私としては、どこに流されてしまったか分からない、というのが一番いやです。 不謹慎かも知れませんが、どんな見つかり方でもいいから見つかってほしいです。 ユキおばさんには、たとえどんな姿になっていてもいいからもう一度お目にかかってからお別れしたいです。


 地元の消防や警察は全部海に流されてしまったので、全国各地から駆けつけた方々のお世話になっているようです。
 うちの地元は、警察は京都府警、消防は大阪と九州の混成部隊とのことでした。 電話してきた私の親戚は、地元のがれきの山に沿って 「北九州市消防」 と大書されたレスキュー車が十数台も延々と並んでいるのを見て、「これで大丈夫だと思った」、と言っていました。 要するに、そんな遠くから救援に来ていただいたのを見て有り難く、また力づけられたと思ったということでしょう。 

 また彼は、「あんたの家のあたりは、大阪の 「きめん」 というところの消防車が来ていたぞ」 と。
 私も大阪とか関西の地理には疎いので、へえ、そんな地名の町が大阪にあるのかと思いましたが、一応その 「きめん」 というのはどういう漢字を書くのかと聞きましたら、どうも 「箕面」 のことのようです。 これはたしか「みのお」と読むのですよね。 箕面の方には申し訳ないですが、東北の寒村にずっとこもって暮らしている人間にとって、関西地方というのはかくも遠いところなのだということでお許し下さい。 実は私も大同小異です。

 でもとにかく、箕面、北九州、京都、「かくも遠いところ」から、本当に有り難く思います。 東京にいる私も勇気づけられます。



地震その後 [日常]

 今回の地震の後、仙台市内にいた父親とは、実に今朝になって初めて電話がつながり、ようやく安心することができました。 ただ、暖房も食料もない状態で、その上こういうときに限って寒さが厳しいようで、状況はかなり厳しいようです。
 幸いにして、父は秋田方面に身を寄せるところがあるので、今日中にもそちらに移動する予定とのこと。 そちらに到着すれば本当に安心です。

 三陸の親戚とはまったく連絡が取れません。未確認情報では、その一部は行方不明者になってしまっているとのことで、この方面は最悪の状況もあり得るかも知れません。

東北太平洋地震 [日常]

 今日の大地震、本当に驚きました。
 
 幸いにして、私も家族も、職場も、それほどの大被害はなくすみました。
 今日は職場の近くに帰るので、帰宅も私は問題ありません。

 ただ、仙台市内に住んでいる父親と、午後9時半になってもまったく連絡が取れず、これだけが残された心配です。

 東北地方沿岸の津波も恐ろしいことでした。
 私はもともと三陸の出身なので、祖父から、昭和8年の三陸大地震津波、昭和35年のチリ地震津波の体験談を繰り返し聞いておりましたが、ついに私自身も(テレビでですが)実物をリアルタイムで見てしまいました。
 うちの実家のあたりがどうなっているか、早く知りたいのですがまだどうしようもありません。

ガイジンさんたちと 「海ほたる」 へドライブ [日常]

 またまた少し前のことになってしまいますが、先日の日曜日(6日)に、現在私の仕事場に来ている外国からの研修生二人を、ドライブに連れ出しました。

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 二人はそれぞれ、中米エルサルバドル、グアテマラからの研修生です。 ただ、研修生といっても、エルサルバドルの Pablo (写真手前) は40代、グアテマラの Juan (写真奥) は50代で、それぞれお国では仕事のベテランです。 今回は特に日本で多く行われている癌の治療法の勉強に来ているわけで、そういうお歴々ですからこっちもけっこう神経を使います。

 スペイン語を勉強していた縁で長らく付き合いのある友人、ノリくんとその奥様ミドリさんを動員して、都内から首都高速経由で「海ほたる」へ向かいました。

 なぜ「海ほたる」か、というと・・・  
 彼らの滞日期間は2ヶ月足らずなのですが、帰国まであと約10日となった現在、彼らはすでに、ツアーその他で都内主要名所や、横浜、鎌倉といった主立ったところは見てしまっているのです。 あちらの方からときどき来る研修生たちを見ていると、だいたいこういう行動パターンが多く、この点その活動度の高さにはいつも感心します (ちなみに今回も、Juan は「東京はもうだいたい歩ける」とうそぶいていました)。

 なので、私たちとしては、彼らがまた訪れてないところに連れ出さなくてはなりません。 その点「海ほたる」は、都心や周辺の観光地からはちょっと外れているから彼らも見落としているし、海底トンネルや長大な海上橋などといった建築物を見せるのも兼ねられる、好適な行き先というわけです。
 実は過去にも、このような研修生たちを連れ、ノリくん夫妻ともども、何度か行ったことのあるコースなのでした。

 都内は金曜日が雪まじりの雨、土曜日は一転して快晴、そしてこの日曜日も、快晴とは行きませんが好天に恵まれました。
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 ただ、下の写真ではちょっとわかりにくいかも知れませんが、この日は風がものすごく、ソワなんかは丸ごと飛ばされてしまうのじゃないかと思うほどで、ちょっとハラハラしました。
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 PabloとJuanは、海底トンネルとか海上橋とかといったものに大変感激しており、
 「これはどうやって作ったんだ?」
 「費用はどれくらいかかったんだ?」
 「これは国の計画か、それとも民間の計画か?」
なんてことを盛んに聞いてくるので困りました。当時の建設の責任者の方にでもお出まし頂かないと。
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 行ったことのある方はご存じと思いますが、ここには海底トンネルを掘るのに使われた掘鑿機の実物が、オブジェとして展示されています。
 この傍らに、簡単ですが工法の概要を記した説明板があったので、ちょっとだけ疑問を解決していただけたようです。
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 ちなみに写真に写っているのはガイジンさんお二人と、得意のスペイン語でいろいろ説明をするノリくんです。


 ところで子どもたち。

 ジュンは、「星座のこと、何かないかな~~」と言っていますが、海ほたるにそんなものがあるわけはないし。
 でも、強いて言えばそれに近いものを自分で見つけました。
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 デッキにある置物。
 ピナとソワは、これはお金を入れれば動くものだと思ったようで、特にソワは
 「おとーさん、うごかして! うごかして!」
   ・・・ なんか、こういうときだけは不思議に言葉がちゃんと出てくるソワでした。
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 帰ってきてからは、子どもたちともども、韓国風焼き肉屋さんのお座敷席で食事しました。


 好天に恵まれたこの日の翌日・・・
 都内はこんな天気。
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・・・ 彼ら二人に、「日本語ではこういう状況を、” 普段の行いが良い” と言う」、と言いましたら、スペイン語にも同じような言い回しがあると言って、とても喜んでいました。


ひな祭り前後 [子どもたち]

 ここのところしばらく多忙でブログにかまっている時間がなく、今日は久々の更新です。


 ちょっと過ぎてしまいましたが、ひな祭り前後の子どもたちの様子です。
 
 仕事の関係で4日に家でひな祭りをやりました。
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 現在、諸々の都合で横浜市内(家があるところ)と東京(職場の近く)の二重生活になってしまっている私たち家族。
 ひな人形はあるのですが横浜に置いてきてしまっています。東京の住居は狭いので。
 それで、今年は子どもたちが作ってきた作品とともにひな祭りです。
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 まず、ピナが幼稚園で作ってきた作品です。 ピナの作品らしく、笑顔満面のおひな様です。
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 次はソワが保育園で作ってきたもの。 おおもとの形はもちろん保育士さんたちが作って、ソワは顔を描いたということのようです。
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  ・・・ 2歳の子が作ったにしてはまあまあよくできているかな・・・ と思いました。


 ひな祭りということで、ちらし寿司を作ったのですが、子どもたちに聞くとこういうものを食べたのは初めてとのこと。 今まで、こうした伝統行事をちょっとおろそかにしてきたか、と反省しました。
 当日のちらし寿司。 ソワの分です。
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 デザートは季節もの、いちごケーキ。
 スポンジ生地は妻が作り、生クリーム泡立ては私、そしてその生クリームを生地に塗ってイチゴをまぶすところは子どもたち、と分担した、家族総出の作品(?) です。
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 しばらく子どもたちが静かにしているなあ、と思いましたら・・・
   ・・・ 何やらケーキに向かって一心不乱に作業中 ・・・
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 なんと、冷蔵庫にあったブルーベリーを勝手に持ち出してきて、それをケーキに乗せていました。
 ピナ曰く、「ケーキでよくこういうのあるでしょ」 とのこと。
 しかし子どもはよく見ていますね、こういう事だけは。
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 仕事が落ち着いて、二重生活状態が解消されたら、家で本当のおひな様を飾って、こういう風に伝統行事を祝いたいと願っています。

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