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地震その後 2 [雑感、コラム]

 一昨日私の父が、三陸の実家のある町に車で乗り込み、状況を見てきました。
 目的地は何度か報道されている陸前高田です。 うちの実家は、その町からさらに岬の方に入り込んだところにあります。 父によれば、途中の道路は一応通ってはいるものの交通規制が厳しく、父はその都度事情を話しながら通してもらったということです。

 また昨日は、知人親類の安否を触れ回るために一時的に盛岡に移動した親戚から電話がありました。 

 父、親戚の話を聞くと、地元は一部では想像を絶する惨状であり、また幸いにも他の一部ではそれほどでもないところもあり、ということ(当たり前ですが)で、かなり詳細が分かりました。

 親族は無事が分かった人が多く、あの地区では奇跡的なことだと思いました。
 ですが、私が親同然にかわいがってもらった祖母方の叔母ユキとその家族は、絶望的とのことでした。 報道で流された町の状態を見て、この人たちについては覚悟していましたが。
 でも私としては、どこに流されてしまったか分からない、というのが一番いやです。 不謹慎かも知れませんが、どんな見つかり方でもいいから見つかってほしいです。 ユキおばさんには、たとえどんな姿になっていてもいいからもう一度お目にかかってからお別れしたいです。


 地元の消防や警察は全部海に流されてしまったので、全国各地から駆けつけた方々のお世話になっているようです。
 うちの地元は、警察は京都府警、消防は大阪と九州の混成部隊とのことでした。 電話してきた私の親戚は、地元のがれきの山に沿って 「北九州市消防」 と大書されたレスキュー車が十数台も延々と並んでいるのを見て、「これで大丈夫だと思った」、と言っていました。 要するに、そんな遠くから救援に来ていただいたのを見て有り難く、また力づけられたと思ったということでしょう。 

 また彼は、「あんたの家のあたりは、大阪の 「きめん」 というところの消防車が来ていたぞ」 と。
 私も大阪とか関西の地理には疎いので、へえ、そんな地名の町が大阪にあるのかと思いましたが、一応その 「きめん」 というのはどういう漢字を書くのかと聞きましたら、どうも 「箕面」 のことのようです。 これはたしか「みのお」と読むのですよね。 箕面の方には申し訳ないですが、東北の寒村にずっとこもって暮らしている人間にとって、関西地方というのはかくも遠いところなのだということでお許し下さい。 実は私も大同小異です。

 でもとにかく、箕面、北九州、京都、「かくも遠いところ」から、本当に有り難く思います。 東京にいる私も勇気づけられます。



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